大判例

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仙台高等裁判所 平成5年(う)147号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人瀧田三良、同石井一志連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。論旨は事実誤認の主張であって、要するに、原判決は、

被告人は、平成四年九月二七日午後三時六分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、福島県郡山市富久山町福原字境田二七番地の一五先路上を日和田町方面から郡山駅方面に向かい進行中、前方の道路左側に駐車中の普通貨物自動車の後方でほぼ停止状態となった後にその右側方を通過するにあたり、自車を道路右側部分に進出させる上、右駐車車両により進路前方の見通しが良くなかったのであるから、反対方向から進行してくる車両の有無とその安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、駐車車両のみに気をとられて対向車両の有無とその安全を確認しないまま、道路の右側部分に進出し、その後平均時速約一三キロメートルで進行した過失により、折から対向して来た甲野春男運転の自動二輪車を前方数十メートルにおいて初めて発見し、ハンドルを左に切るとともに急ブレーキをかけたが間に合わず、被告人運転車両との衝突を避けようとして転倒した右自動二輪車に自車前部を衝突させて右甲野春男を路上に転倒させ、よって同人をして同日午後五時五分ころ、同市西ノ内二丁目五番二〇号財団法人太田綜合病院附属太田西ノ内病院において、左胸腔内大血管損傷の傷害により死亡するに至らしめたものである。

との事実を認定し、被告人を有罪としたが、被告人が駐車車両を避けて反対車線に進出する前に前方を確認した時には、相手車両は未だ発見できなかったし、発見可能な段階では、被告人車は駐車車両の右側に並んだ状態であり、衝突回避の方法はなかったのであるから、被告人に過失はなく、本件事故はもっぱら甲野の高速運転、運転未熟等同人の過失に起因するものであって、被告人は無罪であり、原判決の有罪認定は誤りである、というのである。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討する。

先ず、本件事故のおおよその態様を見ると、次のとおりである。

本件事故現場の道路(以下本件道路という)は、新幹線線路(高架)西側をほぼ南北に通ずる道路で、車道幅員約六メートルでセンターラインがあり、車道の両外側に若干の路側帯がある。被告人は当日の右時刻ころ、妻子を同乗させた普通乗用自動車(パルサー、一五〇〇CC)を運転して、本件事故現場に差しかかったところ、道路左側端に白いライトバンが一台停車(原判示「駐車」は用語として不適切である。)していたので、対向車線に進出してその側方を通過した。対向車線に進出するにあたって安全を確認した際には、見通せる限りの前方百数十メートルの範囲内には対向車両はないように見えた(この点はなお後に検討する。)ので、被告人は安心して、停止車両の側方を通過する際、「こんな所でどうして停っているのだろう」という気持でしばらくその方を見て、進路前方から目を離していた。(同車の運転者が地図を見ているのがわかった。)ところが、停止車両の側方を通過しおわるころ、被告人が視線を前方に転じたところ、自動二輪車が約一六・一五メートルの至近距離に迫って来ていたので、被告人はただちにハンドルを切って左車線に戻りながら急ブレーキを踏んだが、自動二輪車は被告人が発見した次の瞬間には転倒し、そのまま滑走してきて、既に前半部は左車線に戻りかつ殆ど停止状態であった被告人車の右前端部に衝突し、二輪車に乗っていた甲野春男(当時一七才、調理師見習)は車から放り出された形で衝突地点からその進行方向に向かって五メートルあまり左前方の道路端に転倒し、原判示のとおりの傷害により搬送先の病院で死亡した。甲野の自動二輪車は排気量四〇〇CCのものであり、当日は友人のAが二五〇CCの自動二輪車で同行していたが、事故当時、Aはかなり引き離されて後方から追従していて、事故に巻き込まれずに済んだのであるが、同人も、甲野は時速八〇キロメートルぐらい(現場の指定最高速度は時速四〇キロメートル)は出していたと思うと述べている。

右のような概況から見ても、本件事故の原因としては、死亡した相手方甲野の過失が大きいことは明らかである。しかし被告人にも過失が認められるか否かをさらに検討すると、被告人は現場の少し手前の丁字路を右折して本件道路に入ったのであるが、その際、右丁字路のすぐ先(交差点出口から約一〇メートル)に前記ライトバンが停っていて、駐車灯は点灯してなく、すぐに発進するのかどうかなどその動向がわからなかったので、その後方で一時停止したところ、停止車両には運転者が乗っていたが、すぐ発進する様子はなかったので、前方の安全を確認し、対向車が見えなかったので発進したと述べており、右供述は、一時停止したという点を含めて、納得できるものである。そして被告人は右一時停止地点から衝突地点まで二一・三メートル進行しているが、その間の所要時間は、被告人の原審公判廷供述によれば、被告人が後にその走行状況を再現実験したところ概ね六秒前後であったというのであり、これも常識的感覚に照らし納得できないものではない。(六秒はやや長すぎる感もあるので、以下では五、六秒として検討を進める。)一方甲野車の速度は、これを確定するに足りる資料はなく、もっと速かったのではないかと疑う余地もあるが、一応前記A供述により時速八〇キロメートル(秒速二二・二メートル)とすると、被告人が一時停止後発進した時点すなわち衝突の五ないし六秒前には、甲野車は、制動および転倒による減速を考慮に入れなければ、衝突地点より一一〇ないし一三〇メートル、一時停止地点からでは一三〇ないし一五〇メートル前方にあったことになり、右減速を考慮しても、さほどの大差はないと考えられる。ところで、本件道路は、被告人の進路前方でごく浅く右に、次いで左にカーブしているため、遠方まで見通すことはできず、平成五年七月一六日付実況見分調書によれば、被告人車の一時停止地点から約一三八メートル前方までは、対向自動二輪車の全体が見えるが、それより遠くなると左カーブ部分の路外の叢に遮られて、見える部分は次第に少なくなり、一五〇メートル離れると運転者のヘルメットだけが見える状態となることが認められる。以上の点を勘案すると、一時停止状態から再発進する際、甲野車が被告人の視界内にあったと断定することは極めて困難というべきであって、対向車は見えなかったという被告人の供述を疑うことはできず、むしろ信用すべきものと考えられる。(なお、仮にこの時点で甲野車が既に被告人の視界内にあったとしても、この段階での被告人の過失を問うことが困難であることは、後に述べるとおりである。)

そうすると、この時点では、被告人が安全に停止車両の側方を通過できると判断したこと自体は、非難することはできないというべきであって、被告人に右再発進時における前方の安全確認を怠った過失があったと認めたように解される原判決の判示は誤りというべきである。

もっとも、本件訴因も原判決の認定も、右の段階での安全確認義務違反のみを問題にするのではなく、被告人が発進し対向車線に進出した段階で、停止車両に気を取られて前方注視を怠った点にも過失があるとするものであるところ、被告人も、停止車両の方を脇見して進路前方から目を離していたことは認め、捜査段階の供述では、相手車を発見した時の相互の距離は約一六・一五メートルに迫っていたと述べている(原審公判廷では数十メートル前方に発見したようにも述べ、原判決はこれを採って前示のような認定をしているが、右公判廷供述は捜査段階の供述と対比すると信用し難い。)のであって、このこと自体は自動車運転者としての基本的注意義務に反する落ち度であることは確かである。しかし右の落ち度と本件の甲野の負傷ないし死亡の結果との因果関係が認められるかどうかは、更に検討を要する。

被告人が前方注視を怠らなかったとしても、本件におけるような状況下で、減速することもなく接近して来る相手車両の動向を確実に認識し、危険を覚知することができるのは、相互の距離がせいぜい数十メートルに迫ってからであろうと考えられる。検察官が当審で提出した「二輪車の走行実験結果報告書」によれば、対向二輪車のおおよその速度は、一三〇メートル以上離れた地点からでも判別することが不可能ではないと認められるけれども、これを本件道路を実際に走行中の車内から瞬時に的確に判別することは、それほど容易ではないと考えられるし(なお、この点に関しては、本件道路が前記のように被告人の進路前方で一旦浅く右にカーブしている上、右側道路端に電柱もあるため、右側車線に進出した被告人車の運転席からは、右カーブの前方には一部見通せない死角部分が生ずる上、対向二輪車が右死角に入っていなくても、死角すれすれに進行して来る場合には必ずしも見易くはないことも考慮する必要がある。平成四年一〇月一五日付、平成五年七月一六日付各実況見分調書添付の図面及び写真参照。もっとも、甲野車がカーブの陰から出てきて間もない時点で、数十メートル前方に発見したようにいう被告人の原審公判廷供述が信用できないことは、既に述べたとおりである。)、相互の距離が一〇〇メートル近くもある場合には、通常想定される時速五〇キロメートル程度の速度で走行する車両が一〇〇メートルを進行するには約七秒を要するのに対し、本件においてはこの段階では被告人車は既に対向車線に進出すべく加速中なのであって、それから停止車両の前に出て左車線に復帰するまでに要する時間はせいぜい四、五秒程度と推定される上、被告人車の方はもともと低速度なのであるから、対向する甲野車の方が前方注視を怠っていない限り、被告人車の動向を見て早めに速度を調節することも当然期待できるのであり、また、本件道路の車道幅員は六メートルあり、被告人車が停止車両の側方に並んだ状態でも、二輪車が予め減速して来れば、すれ違いができる程度の余裕もあるのである。従って一時停止後再発進し既に対向車線に入り、もしくは入りかけた段階で対向二輪車を発見したとしても、相互の距離がまだ一〇〇メートル近くもある段階では、通常の運転者は進行を続けると衝突のおそれがあるとは判断しないのではないかと思われる。

ここで観点を変えて、本件事故の経過を衝突時から遡って考察してみる。本件においては、甲野は前記のとおり時速八〇キロメートルないしそれを上まわる高速度で走行していた上、被告人車にかなり接近するまで減速した様子はなく、接近してはじめて気付き、高速走行状態から一挙に急制動したため、バランスを失って転倒し、そのまま滑走して殆ど停止状態の被告人車に衝突したものと認められ、このような状況から見て、同人が進路前方、特に遠方の交通状況に十分な注意を払っていなかったことは明らかということができる。被告人が甲野車に気付いた時には、相互の距離は前示のとおり一六メートルあまりであったが、その時の同車の位置(実況見分調書の○ア点)はそのスリップ痕の始端から数メートル進んだところである。すなわち被告人が発見した時には甲野は既に急制動をかけていたのであって、いわゆる反応(空走)時間を考慮すると、甲野は被告人よりも一秒程度早く、相互の距離が四〇メートル程度の地点で危険を覚知し急制動しているものと推認されるとともに、それまでは、全く減速した様子がないことからすると被告人車に気付いていなかったものと推認せざるを得ない。そうすると、被告人が一秒早く相手を発見しても甲野の転倒は防ぎ得なかったのである。それでは被告人が二秒早く発見していればどうであろうか。この場合相互の距離は六十メートル余と推定されるが、ここで被告人が危険を覚知したとしても、この時点では被告人車は停止車両と並んだ状態であり、回避手段としてはただちにその場に停止することと、警音器を鳴らすことくらいしかあり得ない(加速して相手車両が到着する前に停止車両の前に出て左車線に戻る余裕があるとは到底思われない。)が、甲野はこの時点では被告人車に気付いていないのであるから、右のような措置により事故を回避し得たかどうかは極めて疑問であって、甲野が警音器に驚いて急制動し転倒するといった可能性も考えられ、確実に結果の発生を防止し得たとは到底断定はできないと思われるのである。次に三秒早く発見した場合を考えると、相互の距離は約九〇メートルあることになるが、これは衝突時からは四秒以上前(被告人が現実に相手を発見してから衝突までには少なくとも一秒は経過していると推定される。)で、発進からは一、二秒後ということになり、被告人車が対向車線に進出しかかったくらいの段階であって、この状態で被告人がただちに危険を覚知し得たかどうかは大いに疑問であることは、さきに述べたとおりである。そうすると結局のところ、被告人が終始前方注視を怠らず、現実に相手を発見した時点より二ないし三秒早く危険を覚知し、停止等の措置を取った場合には、あるいは本件事故を防ぎ得たかもしれないという可能性は、これを完全に否定することはできないものの、この点はまことに微妙であって、この局限された場面における被告人の前方不注視の過失と本件の結果との間の因果関係を確認することは困難といわざるを得ない。(なお、被告人の発見と回避措置がもう少し早ければ、甲野が転倒しても死亡するまでには至らなかったのではないかということも考えられなくはないが、これも可能性にとどまり、論証は困難というほかはない。)以上の考察の結果は、本件のようなさして広くもなく完全に直線でもない道路を、二輪車が時速八〇キロメトールもの高速度で疾走することがいかに危険であるかを、如実に示しているものというべきである。被告人は捜査段階においては自己の過失責任を認めているが、事実関係が以上のとおりであるからには、右供述のみによって被告人の過失責任を肯定することができないことはいうまでもない。

以上の次第であって、被告人が停止車両の側方を通過すべく対向車線に進出しようとした段階では、被告人に過失を認めることはできないし、その後の段階での被告人の脇見による前方不注視と本件の結果との間の因果関係は、証拠により確認することはできず、本件の結果は甲野側の一方的な過失によるとの見方を完全に否定することはできないものといわざるを得ない。原判決が、被告人に前者の段階においても前方の安全を確認しなかった過失があると認めたものと解される判示をし、さらにその後の段階での前方不注視と衝突の結果との因果関係を積極に解し、被告人を有罪としたのは、事実を誤認したものというべきである。論旨は理由がある。

そこで刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当審において自判することとする。

本件公訴事実は前示原判決の罪となるべき事実と同旨であるが、すでに説示したとおり、甲野春男の死亡の結果と因果関係がある被告人の過失は、証拠に照らしこれを認めることができないから、犯罪の証明がないものとして、同法三三六条により被告人に対し無罪を言渡す。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井登葵夫 裁判官 田口祐三 裁判官 富塚圭介)

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